『養生の楽しみ』瀧澤利行著 を読んで
〜 養生のすすめ 〜
〜「養生」について〜
7月に開院してからは、今までにも増して“鍼灸”と“養生”について考える毎日です。先日、図書館で『養生の楽しみ』という本が目に止まったため、借りてまいりました。
「養生」というと貝原益軒の『養生訓』がまず頭に浮かびます。『養生訓』は儒学者・貝原益軒によって書かれた江戸時代の健康についての指南書ですね。そこには、どのような心で、どのように生活したら健康を保てるかについての教えが示されています。また、冒頭の一節は有名ですが、敢えてここにも記しておきたいと思います。
(原文)
人の身は父母を本(もと)とし、天地を初めとす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし
『養生の楽しみ』の序章にも、この原文と解釈が記されています。
(解釈)
自分の身体は自分のものではない、父親と母親が自分に残してくれた大切な宝物であり、それは天地自然からの恵なのであるから身を慎んで傷つけ損なうようなことをしてはならず、与えられた寿命をしっかりと生きなければならない。
皆さんは「養生」というと、どういうことを思い起こされますか。広辞苑で引くと、以下の通り①〜④までの記載があります。
①生命を養うこと。健康の増進をはかること。衛生を守ること。摂生。方丈記「つねにありき、つねに働くは、養生なるべし」
方丈記の一文は、常に歩き、常に身体を動かすことこそが養生だということですね。身体は適度に使ってこそ保たれる、筋肉も骨も神経も内臓もそうですね。
②病気・病後の手当をすること。保養。太閤書簡天正14年「よくよく御養生候べく候」。「養生につとめる」
風邪を引いてしまいそうな時または引いてしまった時、疲労が溜まり心身を病んでしまった時、病気や術後で体力が落ちてしまった時、皆さんはどうされていますか。上手に保養(心身を休ませて健康を保ち活力を養うこと(「広辞苑」より))できていますか。
その他にも③、④という意味も載っていますので、ご参考まで。
③土木・建築で、モルタルや打ち終わったコンクリートが十分硬化するように保護すること。また、建築中に、材や柱の面・角に紙を張る、砥の粉を塗る、プラスチックのカバーをかけるなどの保護、広くは工事箇所の防護をすること。
④植物の生育を助成・保護するために、支柱・敷藁・施肥などの手当をすること。
〜「健康日本21」〜
厚生労働省では、「我が国における高齢化の進展や疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が増大しており、健康づくりや疾病予防を積極的に推進するための環境整備が要請されている」とし、平成12年3月31日に厚生省事務次官通知により、国民健康づくり運動「健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」が開始されました。
趣旨としては「健康を実現することは、元来、個人の健康観に基づき、一人一人が主体的に取り組む課題であるが、個人による健康の実現には、こうした個人の力と併せて、社会全体としても、個人の主体的な健康づくりを支援していくことが不可欠である」ということです。
目的には、「21世紀の我が国を、すべての国民が健やかで心豊かに生活できる活力ある社会とするため、壮年期死亡の減少、健康寿命の延伸及び生活の質の向上を実現すること」とあります。
そして各論として、「1.栄養・食生活」「2.身体活動・運動」「3.休養、こころの健康づくり」「4.たばこ」「5.アルコール」「6.歯の健康」「7.糖尿病」「8.循環器病」「9.がん」が挙げられています。
この中で、鍼灸師が直接力を尽くせるのは「3.休養、こころの健康づくり」です。それは、落ち着いた”場”で鍼灸の治療をゆっくりと受けることが、疲労や体調の回復に繋がり、また休養となるからです。
「健康日本21」によると、「休養・こころの健康」について、「こころの健康を保つには多くの要素があり、適度な運動や、バランスのとれた栄養・食生活は身体だけでなくこころの健康においても重要な基礎となるものである。これらに、心身の疲労の回復と充実した人生を目指す「休養」が加えられ、健康のための3つの要素とされてきたところである。さらに、十分な睡眠をとり、ストレスと上手につきあうことはこころの健康に欠かせない要素となっている」とあります。
〜 鍼灸による養生のすすめ 〜
身体の具合、日常生活のお話などを伺いながら、ゆっくりと鍼灸施術を受けられると、皆さんすっきりとされ、顔に赤みがさし、ぱっと見の印象に若さがよみがえり、とてもいい笑顔で帰られます。
そのほか、体が軽くなる、ポカポカするなどと仰り、また施術中に腸の蠕動音がしたり、施術後トイレに駆け込まれたりもされています。内臓の活動が活発になるためですね。
鍼灸の効果は、自己治癒力が高められたために自然に、自発的に起こるものであり、さりげなく、分かりにくいものです。でも続けていると、「そういえば胃もたれが治まってきている」、「そういえば肩こりが減っている」、「言われてみると足の冷えによる辛さが減っている」、「健康診断で血圧が正常に下がっていると言われた」、「最近は身体の調子がよく、よく動ける」というようなさりげない変化があるものです。
しかし、それは確実にご自身の基礎体力、自己治癒力が高まってきている証しであり、身体にとってはとても大切な効果なのです。気持ちも明るく前向きになれます。
よく東洋医学では未病を治すと言いますが、本当にその通りなのです。だからこそ、日々の食事や運動に気を使うように、身体を思いやり、たまには鍼灸の力を借りて、身体をメンテナンスする必要があるのです。それが、筋肉、骨、神経、内臓などへのご褒美となるのです。ひいては心の養生となるのです。心の養生は楽しいものです。それは、生への感謝の心に満たされる瞬間でもあります。不思議ですね。私たちが人間だからかもしれません。
どうしても気分が優れない
休んでも疲れが取れない
身体の中に冷えを感じ気になっている
肩がこって頭痛もする
腰や背中がだるい状態が慢性化している
ストレスが溜まっていて自分ではどうしようもない
などの身体の不調があれば、一度は鍼灸を受けてみることをお勧めします。それは、鍼灸が二千年以上も続いてきた人類の知恵であり遺産であるからです。長く続いてきたものには意味があります。そして、鍼と灸の力を伝えて行くことは、鍼灸師が果たすべき役割です。
〜「休養」は「休むこと」と「養うこと」〜
「休養」に注目すると、厚生労働省のホームページにさらに詳しく書かれています。
「『休養』は疲労やストレスと関連があり、2つの側面がある。1つは『休む』こと、つまり仕事や活動によって生じた心身の疲労を回復し、元の活力ある状態にもどすという側面であり、2つ目は『養う』こと、つまり明日に向かっての鋭気を養い、身体的、精神的、社会的な健康能力を高めるという側面である。
このような『休養』を達成するためにはまず『時間』を確保することが必要で、特に、長い休暇を積極的にとることが目標となる。しかし、このような休養の時間を取っても、単にごろ寝をして過ごすだけでは真の『休養』とはならず、リラックスしたり、自分を見つめたりする時間を1日の中につくること、趣味やスポーツ、ボランティア活動などで週休を積極的に過ごすこと、長い休暇で、家族の関係や心身を調整し、将来への準備をすることなどが真の休養につながる。休養におけるこのような活動が健康につながる種々の環境や状況、条件を整えることとなっていくことから、今日の健康ばかりでなく、明日の健康を考えていくところに『休養』の意義付けをし、『積極的休養』の考え方を広く普及することが重要である。」
厚生労働省ー政策についてー健康・医療ー休養・こころの健康へのリンク
〜『養生の楽しみ』〜
瀧澤利行著『養生の楽しみ』(2001年6月1日発行)には、下の目次の通り、「養生」について多岐にわたる内容が記されています。そして、「明治維新から130余年、三千年紀に向かって歩みだした私たちにあたえられた課題は、今一度『養生論』に籠められた『養生』の意味を考え直し、私たちの生活原理としての『養生』を私たち自身が創り出していくことなのではなるまいか」と結んでいます。
目次
序章 「養生」とは何か
第1章 歴史の中の「養生」
第2章 健康文学としての養生論
第3章 欲を節し、身を慎む
第4章 粗食のすすめ、美食のすすめ
第5章 戸枢(こすう)は朽ちず、流水腐らず
第6章 息は静かに悠々と
第7章 文化の中で生きる
第8章 性は世につれ
第9章 病気と医者
第10章 心豊かに暮らす
終章 養生はどこへ
私は、この度、『養生の楽しみ』を読んで、「健康日本21」を思い出し、改めてここにその内容を記すことにしました。
さらに、瀧澤氏の「今一度『養生論』に籠められた『養生』の意味を考え直し、私たちの生活原理としての『養生』を私たち自身が創り出していくことなのではなるまいか」という結びの一文に、鍼灸師としてその一端を担うべく、心新たにした思いでした。
温泉に行く、旅行に行く、演劇鑑賞に行くように、また、食べ物や水や飲み物に注目するように、鍼灸院に通い養生することの楽しさを味わえる世の中になっていただければと思います。
私としては、そのような“養生できる鍼灸院”という”場”を提供できればと考えています。身体の回復には心の回復が不可欠です。なぜなら、心と身体は切っても切れないものであり、どちらかだけが良くなるということはあり得ないからです。鍼灸院へ向かい、施術を受け、自分の心と体を見つめ直し、養生の楽しみを味わっていただきたいと思います。
最後に、2箇所、抜粋しておきます。
皆さんは、「養生」についてどのように考えられますか。
(「終章 養生はどこへ」より)
私たちが日々生きている仕事や家庭、あるいは社会生活においてもとめられるさまざまな規範や慣習、そしてその複雑な網の目の中でわき上がる酒食や性への欲望、さらに名誉や自己実現などへの欲求に身を曝(さら)し、そこで適切に身を処して生き抜くためには、それらから一旦解放され、静かな悠久の時間を実感できる「養生の文化」との出会いが必要なのである。近年、茶道や香道、あるいは気功や武道、さらにはガーデニングや温泉行など、養生と深い関連をもっていたり、養生論の中で取り上げられた文化が、「癒し」の文化として関心を集めていることも、人々が活動的な日常で「生きられている」生を悠久の時間の連続にある世界の中で「生かし直す」ことを試みている表れとして理解することができる。
人々にとっての「養生」が真に「養生」たりうる所以は、きわめて日常的な事象について非日常からの問いかけや働きかけがあってこそ新たな日常に出会い直すことができることにある。
(「あとがき」より)
養生とは、将来の無病や長生を希(ねが)う思想であるにとどまらず、いまを果敢に生き抜くための叡智でもあるのだ。養生を人生を楽しむための思想であるとする見解は正しいし、筆者もそうとらえることに異論はない。ただし、養生の思想はさらに深く、生きるうえでのさまざまな困難と向き合い、時には自ら傷つきながらもこれを拉(ひさ)ぐことによって、より鍛え抜かれた練達の生を手に入れるための思惟に他ならないというのが筆者の端的な養生観である。読者の中には本書で触れられた養生論の記述の端々にはそのような厳しさが見られないと批判される向きもあろう。しかし、真の強靭さとはその外貌において柔和で変哲もないものなのではあるまいか。養生思想の原点ともいうべき『老子』の「柔弱謙下(にゅうじゃくけんげ)」の真意を再考してみたい。
「広辞苑」より
・柔弱(にゅうじゃく,じゅうじゃく):やさしくよわよわしいこと。気力も体力も弱いこと。
・謙下(けんげ):へりくだること。謙遜。
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